インターネットが発達した最近ではよく知られた事実かもしれませんが、函館市の七夕まつりは全国的にも珍しい特色があります。
なんと、ハロウィンのように子どもたちが家々を回って、ろうそくとお菓子を貰い歩くのです。
いわゆる「ロウソク貰い」という風習ですね(こんな正式名称があるなんて大人になってから初めて知りましたが)。
管理人は函館で生まれ育っているので、昔はこの行事が普通のことだと思っていました。
7月7日になると、全国どこでも子供たちがお菓子を求めて練り歩いているものだとばかり思っていたので、そうじゃないと知った時には非常に驚いたものです。
一応、北海道の一部の都市にはこの風習があるみたいなのですが、北海道全体で見てもそれほどメジャーではありません。
そうなると気になるのが、この函館の七夕の特徴である「ロウソク貰い」の風習がどこから来たのかですね。
そこでこの記事では、「ロウソク貰い」の歴史的由来について調べてみました。
函館の七夕と他の北海道地域との違いは?
そもそも函館の七夕は、本州の多くの地域と同じく7月7日に行われますが、実はこれって北海道では少数派です。
北海道の多くの地域では、七夕を8月7日に行います。
もともと七夕は旧暦の7月7日に行われる行事でしたが、明治時代に太陽暦に改暦した際に次の二つの選択肢が出てきました。
- そのまま新暦7月7日に七夕を行う。
- 元来は初秋の行事だった七夕の季節感を重視して、月遅れの8月7日に行う。
こうして各地方がそれぞれどちらかの選択肢を選んだため、現在でも地域によって7月7日派と8月7日派に分かれているのです。
そして北海道では多くの地域が8月7日派に属したのですが、函館は本州の多くの地域のように7月7日に祝っています。
これは私の推測ですが、おそらく函館は北前船による本州との交流が盛んだったため、そちらの習慣に強く影響されたのではないでしょうか。
交易を介した本州との交流が、函館の独特な七夕を成り立たせている要因だと私は考えています。
ちなみに、8月7日にやる理由を「旧暦の七夕に合わせている」と説明しているサイトも有りますが、これは間違いです。
旧暦の七夕は8月7日ではありません。
月遅れというのは、「1ヶ月遅れた日付にすれば、旧暦の季節感とそれほど違わない」というわかりやすさを重視した実用的な知恵です。
ですから、旧暦と月遅れでは数日のズレが起こることも多々あります。
函館市の七夕「ロウソク貰い」の様子とは?
まずは実際に函館市の七夕祭りの様子を確認しておきましょう。
子どもたちが各家庭の玄関先で次のような歌を歌います。
「竹に短冊七夕祭り 大いに祝おう ろうそく一本ちょうだいな」
この歌詞についてはバリエーションがあって、どれが正しいのかについては諸説あるようです。
しかし私の頃はこの歌詞が正式だと教わりましたし、現在も地元の小学校で配布されるプリントなどにはこの歌詞が記載されているので、これがスタンダードだといえます。
多くの子どもたちは友達と回るので、みんなで「いっせーのーせ!」で元気に歌います。
昔は「声が小さくて聞こえないな」と、やり直しさせるおじさんなんかもよくいましたね。
私の友達はよく声が小さくて一人で歌い直しをさせられてました。
子どもたちが歌い終わると、家の人はろうそくとお菓子を子どもたちに渡します。
函館の各家庭では、七夕が近くなると小分けできるお菓子を事前に用意しておくのがルールです。
七夕が近くなると各スーパーでは、小分けできるお徳用パックのお菓子が大量に積まれ、それが七夕前の風物詩のようになっています。
ロウソクとお菓子をもらったら、子どもたちはお礼を言ってからまた次の家に移動します。
ちなみに、昔はビニール袋を用意して、その袋にお菓子とロウソクを入れて貰うのが普通でした。
私が子供の頃は、1件でも多くの家を回って複数の袋をいっぱいにした子が仲間から尊敬を集めてましたね。
現在はエコバッグみたいなものを持って歩いている子供を見かけますし、昔よりおしゃれな印象です。
また、最近ではロウソクを渡す人が少なくなっているようです。
子どもたちの目当てはお菓子ですし、家庭でロウソクを使う場面も少ないですからね。
まあ自然な傾向だと思います。
ちなみに、最近は各小学校で「七夕飾りを玄関に出していない家を回ってはいけない」というルールを指導しているそうです。
お菓子を用意し忘れた家庭には、結構ありがたいルールかもしれません。
「ロウソク貰い」の由来とは?
ハロウィンとは無関係?
では、こうした「ロウソク貰い」の風習はどこから来たのでしょうか?
ネット上ではこれをハロウィンの影響だと信じている人もいるようです。
しかしこの見解は明らかに間違っています。
なぜなら、「ロウソク貰い」の歴史は日本にハロウィンが伝わってくるよりも古いからです。
たとえば、1855年に書かれた「函館風俗書」という本には、既に「ロウソク貰い」が函館の風習として記載されています。
1855年といえば日米和親条約で函館が開港した直後のことですから、その時点で「風習」として紹介されているということは、ペリー来航より前からこの風習があったということ。
つまりハロウィンとは無関係なんですね。
まあ、「ロウソク貰い」の名称の通り、主目的はロウソクを集めることだったようですから、ハロウィンとの類似は偶然にすぎないということでしょう。
もっと言えば、子どもたちが家に来たらお菓子をあげたくなるのは洋の東西を問わず自然な心性なので、「家に来た子供にお菓子をあげる」という要素が共通してもまったく不思議じゃありませんね。
東北の「ねぶた」に由来?
有力な見解によれば、「ロウソク貰い」の風習は東北の「ねぶた」に由来しているそうです。
青森のねぶた祭りで有名な、あの「ねぶた」ですね。
函館は北海道でも特に青森など津軽地方と密接な関係を持っていました。
その影響は、現在でも函館の方言が津軽弁に近いことからも伺えます。
そして江戸時代後期の函館では、七夕とねぶた祭りが同時に祝われていたのだそうです。
七夕になると各家庭は「ねぶた」を作り、そこにロウソクを灯します。
この「ねぶた」に灯すためのロウソクを集めるのが子どもたちの仕事であり、「ろうそく1本ちょうだいな」という歌はまさにそのことの名残なんだとか。
つまり、「ロウソク貰い」はねぶた祭りに由来しており、それが「ねぶた」を離れて七夕の行事として現代にも残っているということです。
七夕の「ロウソク貰い」は函館発祥?
では、ねぶた祭の残る東北に七夕の「ロウソク貰い」の風習があるのかというと、これは存在しないようです。
とすると、七夕と「ねぶた」をたまたま一緒に祝っていた函館だったからこそ、「ねぶた」由来の風習が七夕の行事に変わったといえるかもしれません。
つまり、七夕の「ロウソク貰い」は函館が発祥なのではないでしょうか。
まあ、あくまでも素人である私の推測です。
しかしこの推測を補強する傍証は他にもあります。
函館以外に「ロウソク貰い」が現在でも残っている地域を見てみると、北海道の一部地域と本州の一部の漁港だけのようです。
そして本州の一部の漁港というのは、北前船によって函館と交流があった港だけですから、函館から風習が伝搬したと考えるのが自然です。
また、札幌近郊や釧路など北海道の他の地域についても、当時の北海道における函館の影響力を考えると、函館から伝搬したものと推測されます。
このように、七夕の「ロウソク貰い」は函館で生まれ、それが北海道内に広まったのだと考えるのが自然です。
まとめ
- 函館の七夕祭りは、子どもたちがお菓子とロウソクを貰い歩く
- 「ロウソク貰い」の由来は、東北の「ねぶた」にある
- 江戸時代後期からある風習なのでハロウィンと無関係
- 「ロウソク貰い」の発祥は函館だと思われる
函館市は少子高齢化が進んでいるので、年々「ロウソク貰い」をしている子供の数が減っています。
伝統が失われるようで、ちょっと寂しいですね。
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